そろそろ忘れそうな大阪弁

「記憶が頼り」という間違った言語採集。たぶん河内方言風味。

おっぱん

2007.01.17 Wednesday
そろそろ忘れそうな大阪弁 > ア行

仏様・仏壇に供えるご飯、仏飯のこと。アクセントはLLHL

当然、仏飯を盛る器にも名前があるはずなのですが、ばあちゃんが「おっぱんの入れもん」「仏さんのごはんのナニ」と呼んでいた関係で名称不明です。

いえ、お寺さんに尋ねれば正しい名称を教えてもらえるのでしょうが、このサイトのいい加減さを考えると「仏さんのごはんのナニ」ぐらいがちょうどよさそうです。

そういえば、うちはどうしておっぱんを供えなくなったんだろう。

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    おっちん

    2007.01.15 Monday
    そろそろ忘れそうな大阪弁 > ア行

    正座のこと。サ変。おっちん・スル。幼児語。アクセントはLLHL。昨今の印象としては、お年寄りが言っているのを辛うじて聞けるかな程度。

    例:「おっちんしい!」
    (訳:正座しなさい)

    と言われたら、それまでの油断しきったあぐら・ごろ寝の姿勢から急いで体勢を変えて正座に移行しなくてはいけません。私の場合はおっちんを強いられる状況があまりにも限られていたし、そういう状況(せいぜい仏事関係)では言われるまでもなく正座していたので、滅多に言われませんでした。

    謎の部分としては、犬猫の「おすわり」に対しても使われていたところです。これは祖母だけの現象なのか、おっちんが通じる地域で広く当てはまることなのかわかりません。

    例:「おっちん!おっちんは?」
    (訳:おすわり!おすわりは?)

    確かに、人間から見れば犬猫にとっての「きちんとした座りかた」なのかもしれないけど、あの、関節の状態も接地部位も人間のそれと全く異なる座りかたは正座なのか?

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      にわ

      2007.01.14 Sunday
      そろそろ忘れそうな大阪弁 > ナ行

      漢字で書くと「庭」です。アクセントはHH

      たいていの人にとって「にわは庭だろう」でおしまいです。還暦を過ぎた母ですら、「にわ」は標準語の「庭」と同じものを指すと思っています。ここで書くような意味でこの語を使う人は、もうほとんどいないはず。

      祖母によると、にわというのは「玄関にある土間の部分」を指す言葉であって、家屋の前にあるスペースは「にわではない」のだそうです。子供の頃に、そう言われました。

      そうなると自分が「庭」だと思い込んできた家屋前の空間は何と呼べばいいのか。世間で「庭」と呼ばれるあれが「にわではない」とは何事なのか。

      祖母の説明では、

      にわ言うたらな、家入ったとこのコンクリ(LLHL)あるやろ。あれや。家の前のとこは何やてか。そら、かどやがな。にわやあらへん」

      という区別になっていたようです。そういえば、祖母が家の前の部分を「にわ」と呼ぶことは全くありませんでした。

      昔ながらの区別に従って、玄関の土間を想定してにわという言葉を使うとたいていの人が誤解すると思います。一部集落やご家庭でひっそりと「昔からそう呼んできた」として受け継がれている場合などはあるのでしょうが、基本的にはもう通じない言葉。

      ばあちゃんの頭の中のにわ本来のイメージだと思われる「土間が家屋内を貫いてる家」の家屋構造については、機会があれば。

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        かど

        2007.01.13 Saturday
        そろそろ忘れそうな大阪弁 > カ行

        たぶん漢字で書くと「門」。アクセントはHH

        「家の前にある庭」がかどです。で、にわと言うと、家の中にある土間を指します。

        大阪市内・近郊で「かど→いわゆる庭」「にわ→いわゆる土間」という対応関係が今でも成り立っているご家庭は存在するのでしょうか。私の場合、「そろそろ忘れそう」どころか、このサイトを作ろうと思い立って記憶をたどっているうちに思い出すまですっかり忘れていました。

        今はおそらく

        1. かど→あまり通じない。一部の人には「庭」の意で通じる。
        2. にわ→同じく「庭」のこと。「土間」ではない。

        というような認識になっている人がほとんどだと思います。

        子供の頃に「ばあちゃん、隣の(家の)落ち葉、庭にようけ落ちてたからホウキで掃いといた」と言って、

        「隣からにわに葉(はあ)入るて、そんな家あるかいな」

        と言われたときの衝撃は大きかったものです。

        にわの項に記載の「かどにわの違い」の説明を受けたのはこのとき。

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          ザ行とダ行とラ行

          2007.01.12 Friday
          つれづれに

          祖父は私が生まれる前に他界したし、諸事情で物心ついたときから父親というものは家にいなかったしで、祖母・母・兄・私の四人家族でした。で、この家の大人二人が二人ともザ行とダ行とラ行の弁別があやしい人たちでした。

          意外というか、軽度だったのが祖母。綴りどおりの発音など意識せずに済んでいることが良い方向に作用していたのか、音が変わらないんですよ。聞いてる側が「ザなのかダなのかわからん」と区別できない音になっているだけで、調音法がコロコロ変わったりしないんですね。この3つ、調音点は同じか似たようなもんで調音法の違いで区別がついてるだけですから、摩擦の強弱やら破裂の強弱があいまいだと聞き取りづらくなります。

          上の段落を読んで「わけわかんねえよ」とお感じになった方は、「ダ」と発音したときの「何かがはじける感じ」を徐々に弱めてみると「ラ」の気配が忍び寄ることを感じてください。難しいことを書いてそうですが、それだけの話です。

          この地域の年配の方全般に言えることですが、ダ行の破裂が弱くラ行との聞き分けがしづらい、また当人も別の音かどうかを気にしていらっしゃらない、という場合がそれなりにあるように思います。ええ、誰もが強い巻き舌でしゃべると信じ込まれていそうな河内弁地域ですが、そういうわけでもないのです。ダ行の破裂が弱く、ラ行で舌が硬口蓋をポンと叩く音は強め・舌が浮いてる時間短め(=ラ行らしさを発揮する時間が短い)、というような印象。

          ダ行の破裂の弱さも河内弁=巻き舌イメージの強調につながっていそうな気がします。ダ行であるべきところがラ行のようにも聞こえる音で発音されるので「ラ行の人たち」という印象が過剰に強くなっている、なんて事情はないんだろうか。いえ、実際に巻き舌のラ行を聞く機会もしばしばあるんですけどね。

          そんなこんなもありまして、祖母の言葉を思い出して書く際に「ザ行/ダ行/ラ行のどれで書くべきか」という問題で悩むことがこれまでのごくわずかな記事でもあったような気がしますし、今後もたくさん出てくるのだろうと思います。結論としては、「どれが正解なのか、わからん」というのを何となく正解として採用しておきます。録音を繰り返し再生して破裂の加減に聴覚を集中して…ということができないのですよ。その録音が、ない。

          なぜかザ行とダ行の区別ができない母の場合は、テレビ等で面白おかしく和歌山の年配の方が話す様子をとりあげていることがありますが、あのレベルで区別できなかったり「言おうとしても言えない」ことが多々あるようです。不自然に口腔・唇・舌に神経を集中しているのがわかる状態で、

          「で!…ちゃう。えーと、で!…ちゃうねん。でったいでつめー!(絶体絶命)…あかん、言われへん」

          と練習していたことがありました。

          15年ほど前、居間のコタツの上に母が書いたメモが置いてあって「月曜・じどうさんそうじ」と書かれていました。近所の地蔵(じぞう)さんの掃除をする日だ、というのがメモの内容だったのですが、少し切ない気持ちになりました。

          そんなわけで、各種メディアで「和歌山弁の特徴」としてとりあげられているのを見聞きするたびに「和歌山生まれでも和歌山育ちでもなければ和歌山在住経験も和歌山勤務経験もない、うちのオカンもそうなんだけど、なあ」と、なんとなくすっきりしない心境になります。

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