そろそろ忘れそうな大阪弁

「記憶が頼り」という間違った言語採集。たぶん河内方言風味。

まんまんちゃん、あん

2007.01.21 Sunday
そろそろ忘れそうな大阪弁 > マ行

昔ながらの京都・大阪の言葉を語るうえで、なぜか外せないことになっていそうな「まんまんちゃん、あん」。幼児語…なんだけど、いまどきの子供にコレを言う人はどれぐらいいるんだろう。

私が子供の頃の話。

ごはんが炊き上がっても人間が先に食べてはいかんのですよ。何をさておいても、まず仏さんに供えなさいと。で、ばあちゃんが専用の小さな仏具にごはんをよそって孫に手渡しながら言うのです。

使用例:「ぶったんおっぱんあげて、まんまんちゃん、あんして来(き)」
(訳:仏壇へ仏飯を供えて、手を合わせて拝んで来なさい)

あらためて文字にしてみると謎の呪文にしか見えないなと、書いていて思います。

これを家で毎日聞かされるのは、家に仏壇がある・この言い回しをする家族がいる・ご飯を供える習慣がある、という条件が揃った場合に限られそうなので、そうでない場合はそれなりの年齢の人でも聞き覚えがないのかもしれません。

私の場合、読点が入ったままでサ変というよくわかんない感覚で使っているときもありそうです。サ変動詞「まんまんちゃん、あん・スル」として。実際はきちんと読点のところで区切れます。読点のところに助詞「に」を入れて言う人もいるぐらいに、しっかり区切れます。

「まんまんちゃん」「あんスル」の解釈は一部で揺れがあるようです。以前、「あんスル=『あん!』と声に出して言う」説をどこかで見たときは衝撃でした。寺社巡りをしてみると、手を合わせながら「あん!」と叫ぶ子供に出くわすのでしょうか。

私の印象としては「まんまんちゃん=仏さん」「あん=仏さんに向かって手を合わせて拝む様子」。

いたって個人的な偏ったイメージまで行くと、仏さん=まんまんちゃんに向かって目を閉じて頭(こうべ)を垂れて手を合わせ「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…」とひとしきり唱えてから、「あんっ!」という何かの発露とともに鈴(りん)をチーンと鳴らすという一連の流れがまんまんちゃん、あんでした。「あんしなさい」と言われたら拝もうとするはずなのですが。

「あん」で頭を下げるんだという方や、ひとしきり拝み終えて息継ぎのような心持ちで頭を上げるときが「あん」だという方もいらっしゃるかもしれません。私が勝手に鈴を鳴らすタイミングで「あん」を思い浮かべていただけの話です。

うちでは当然のこととして言われませんでしたが、家によっては「おっちんして」がセットになっていた場合もあったようです。

使用例:「ぶったんとこ行て(促音が落ちる)、おっちんして、まんまんちゃん、あんしといで」
(訳:仏壇のところへ行って正座して、仏さんに手を合わせておいで)

今も一部ではしっかり生き残っている表現のようですが、こういう生活習慣自体が各家庭から消えつつあるんじゃないかと。

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    もむない

    2007.01.09 Tuesday
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    今でも通じるけど古風な気配を感じる語、「もむない」。10代の人でこの語を日常的に使う人っているんだろうか。アクセントはHHLL

    おそらく「不味い」の意だと説明される場合もあるのだと思うのですが、「もむない=まずい」と書かれるとどうも違和感を覚えます。

    私の場合、もむないという言葉に「味がしない」「味が薄すぎる」という意味合いを感じます。そんなわけで「まずい」と一致しないのですね。確かに「味がしない」ものは「おいしくない」もので「不味い」に当てはまるわけですが。

    祖母は味覚について「まずい」という語をほとんど、あるいは全く使っていなかったように思います。少なくとも、味噌を入れすぎた味噌汁をすすったときに「辛っ!(からっ)」と言うことはあっても「この味噌汁、まずいな」とも「この味噌汁、もむないな」とも言いませんでした。

    だし入り味噌を使ったわけでもないのに味噌だけを入れたときなどは、きちんと「なんやもむないな」という指摘が出ます。日頃だし入り味噌を使っていたわけでもないのに味噌汁・だし抜きを作ってしまうこと自体どうかと思うのですが、やらかしたのは母です。

    「まずい」にきっちり対応しそうな語として使っていた言葉は「おいしいことない」(おいしくない、に対応)ぐらい。

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