そろそろ忘れそうな大阪弁

「記憶が頼り」という間違った言語採集。たぶん河内方言風味。

なんで「記憶が頼り」なの?

2007.01.07 Sunday
このサイトについて

録音も何もない故人の言葉を採集するというのはできないわけで、それでもネットでぐりぐりと検索すれば、たぶん「ああ、そうそう、この言葉を使ってたな」というようなものを説明してくれているサイトにすぐにぶち当たるだろうと思うのです。

そうしたサイトをあちこち調べて参考にしながら書けば楽なんだろうし、でたらめな内容になる可能性も防げそうです。でも、熱心に調べものをしてしまうと染まってしまう可能性があるのが困るのです。

祖母の言葉・習俗を書き留めようという趣旨なので、正しい知識を得てしまうことで記憶が書き換わってしまうと困るのです。祖母が使っていなかった表現を使っていたかのように思い込んで書いてしまったり、祖母が言い間違えていた言葉(祖母にとっては、それで正しい)を勝手に修正してしまうかもしれません。そういう必要以上の正しさを持ち込んでしまうのは避けたいなと。

書籍や既存のサイトの記述を参考にすることもあるのかもしれませんが、そういうことはあえて控えて、あくまで私の記憶に残っているものを基本にしたいと考えています。

大正5年生まれの祖母は1998年春に倒れて意識がほとんど戻らないまま同年秋に没。尋常小学校で習ったカタカナが精一杯だったようで(カタカナもやや手強かったのか、旧仮名/新かなのいずれでもない表記をすることがあった)、ひらがなは読み書きともに困難だったようです。その関係で、綴りに引きずられて口語発音を矯正してしまうような現象はほとんどなかったのではないかと思います。

このサイトでの何よりの問題点は、孫である私の記憶があやしいところです。

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    このサイトで扱う対象

    2007.01.07 Sunday
    このサイトについて

    どうも自分がガキのときによく聞いていたはずの明治・大正生まれのジジババの言葉を聞く機会がなくなってきたなと思うのです。

    言葉は変わりゆくものだろうし、若い人が新しい表現を生み出してジジババしか使わないような表現が淘汰されてゆくというのは自然な流れだと思うのですが、なんとなく自分がずっと聞いてきたはずのジジババの言葉を記録しておきたいなと思ったのです。

    サイトの趣旨・目的はこの部分に尽きます。「書かなんだら忘れる」と。

    でも大阪弁を扱うサイトというのは世の中にさんざんあるわけで、単に一般的な懐かしい大阪弁に触れたいだけならそういうサイトを眺めて古風な語彙を探すだけでいいと思うのですよ。ここでは、一般的かどうかなど知ったこっちゃない、主に今は亡き祖母の言葉やご近所に住んでいて既に彼岸に旅立たれた方々から聞いたはずの言葉を、記憶を頼りにつらつらと書き残す予定です。私だけが懐かしいサイト。

    私にとっては「最近あまり/ほとんど聞かなくなったよな」という表現であっても、地域によっては若い人が日常的に使っている場合も多々あろうことは承知していますので、「私はその表現を日常的に使っているのに、忘れそうとは何事か」というお叱りはご勘弁を。

    ついでに、祖母は実践していたのにどうやら受け継がれていない習俗も忘れないうちに書き留めておこうかと。やっぱり私だけが懐かしいサイト。

    当然、祖母だけが使っていた言葉/行っていた習俗というわけでもないので、祖母の生まれ育ちと似たような時代・環境・社会を生きてきた方は似たような表現を使っていらっしゃったり、似たような風習に思い当たるフシがあるのかもしれません。

    そんな、祖母の大阪弁・祖母の習俗といういたって私的な事柄ばかり扱うサイトなので、正しい大阪弁的ないろいろと面倒がつきまとう問題に触れることもありません。たぶん、大阪弁を学習するたぐいの用途にはつくづく向いていないサイト。

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