そろそろ忘れそうな大阪弁

「記憶が頼り」という間違った言語採集。たぶん河内方言風味。

おちょうず

2007.02.04 Sunday
そろそろ忘れそうな大阪弁 > ア行

漢字で書くと「お手水」。「お手洗い」「トイレ」の意。アクセントはLHLL

たぶん国語辞典を引けば「ちょうず」も「はばかり」も語義に便所が挙がっていそうなのですが、誰にでも通じるたぐいの言葉ではないと思うのです。

祖母はトイレのことをおちょうずと呼んでいたのですが、今の日常生活でトイレのことをおちょうずと呼ぶ人に全く出くわさないし、同年代の大阪の人に話しても通じなさそうなので、書き残しておくことに。

今は水洗になっていたり、家の中で1個所だけになっていたりするのですが、私が小さい頃にはなぜか2個所使われていました。うち1個所は完全に家の外。靴をはかないとたどり着けない場所にある、おちょうず

なぜか祖母はこの面倒なほうを使わせようとするのですよ。小さい子供としては、夜にわざわざ一旦家の外に出て頼りない裸電球だけが点いた非水洗のものよりは、もう少し怖くなくて水洗式(でも頼りない裸電球しかない点は同じ)のほうを利用したかったのですが。

今にして思えば、家の外のほうのおちょうずは元専業農家だった家としては重要な肥料生産施設だったんだろうと思います。その名残で、子供たちも生産者として連れて行かれていたのかもしれません。その頃には、食っていける規模の農業はしていなかったし、肥料も化学肥料や鶏糞を使っていたようなので、実際の利用はなかったのに。畑の隅っこに、往時の名残らしき肥だめはありましたが。

私が小学生の頃に地域一帯が一気に水洗式に移行した時期があって(下水道整備だか何だかがあったのだと思う)、その頃に「怖いほう」のおちょうずは廃止されました。

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    ずつない

    2007.01.31 Wednesday
    そろそろ忘れそうな大阪弁 > サ行

    「苦しい」ときに使うようです。アクセントはHHLL

    世の中にはいろんな苦しさがあるのですが、ずつのう(ずつなく)なるのは、たらふく食べたときが多いようです。

    例:「あー、ようけよばれた。ずつな
    (訳:あー、たくさんご馳走になった。苦しい)

    私の頭のなかで「ずつない=食べ過ぎて苦しい」が結びついているのは祖母が食後に例に挙げたようなことをよく言っていたからだと思います。本当は食べ過ぎて動けないときだけでなく、体調が思わしくない場合の様々な「苦しい」に使えるはずなのですが、家の中では「ばあちゃんの食後」にしか出てこない言葉でした。

    づつない」と綴りたくなるのはなぜだろう。

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      つくもる

      2007.01.29 Monday
      そろそろ忘れそうな大阪弁 > タ行

      「しゃがむ」の意。「うずくまる」でもあるんだろうか。アクセントはHHHH

      今でも一定以上の年齢層には通じそうですが、「つくもる」という語を聞く機会がほとんどありません。

      子供の頃に、ばあちゃんの指令で野良仕事の手伝いをしたりもしていたのですが、ガキにとってどうも楽しくなさそうな作業があったりもするのです。

      クワで畝(うね)を耕したり整えたりするのは疲れるけれどもそこそこ楽しいし、サツマイモの収穫などはときにオケラ(虫の名)と出くわすことを除けばこのうえなく楽しいのですが、草むしりというのが地味で楽しみも少ないのです。非常に重要な作業なのですが、ガキの感覚なので「つまらない」「めんどくさい」だけなのです。

      そんなわけで、草むしりを命じられてもだんだん飽きてくるのですね。で、草むしりの途中でミミズを発見したりすると、ですね。当時、近くにあるフナしか釣れない川でフナを釣るのが楽しみだったガキンチョとしては、ミミズ捕獲モードに移行してしまうのです。

      釣り餌に使えるぞ、と。コイ釣り用として売られてる「吸い込み」という仕掛けで投げ釣りしてもやっぱりフナしか釣れない川で釣りをするのに使えるぞ、と。

      釣具・釣り餌のお店で買うよりも大きいのが獲れるのに、それがタダ、というのが当時はうれしかったのです。ミミズが大きいからと喜んでいる辺りがガキなりの平和さかもしれません。

      で、指示されたことを放置して、野菜も雑草も生えてない畝の辺りにつくもるのです。そこで謎の集中力と根気でひたすらミミズ捕獲に燃えていると遠くのほうから声が飛んで来るわけです。

      例:「そんなとこでつくもってんと、草、引き」
      (訳:そんなところでしゃがんでないで、草を抜きなさい)

      何にも生えてないところでつくもって、ひたすらスコップで畝をほじくっているのですから遠くから見てもさぼっているのはバレバレです。

      今は釣りもしていないしミミズをさわるのがこわいはずなので、当時はよく平気であんなにたくさん捕獲したもんだなと思います。1〜2時間頑張ると100匹以上捕獲できる畑でした。

      冷静に考えると、ばあちゃんの土壌づくりの腕もよくて手間をかけていたからこそ、あんなにたくさんミミズがいたんだろうな。

      ミミズ話はさておき、疲れたり具合が悪くなってしゃがみ込んでる/へたり込んでる場合にも「つくもる」は使われます。

      例:「どないした?こんなとこでつくもって
      (訳:どうした?こんなところにしゃがみ込んで)

      そういえば大人になってからも、飲み過ぎて繁華街の片隅でつくもっていることがあるようなないような…。

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        よす

        2007.01.27 Saturday
        そろそろ忘れそうな大阪弁 > ヤ行

        「直す、修理する、修繕する」の意。アクセントはHH。漢字で書くとどうなるんでしょう。るんだろうか。調べないのでわかりません。

        子供の頃に関西に引っ越してきた人が新しくできたお友達と遊んでいるときに、別のお友達がやってきて「よーしーてー」LLH)と言われ、「私、どうしてよして=止してなんて言われるんだろう?」と驚くという、あの「よす」(仲間に入れる)ではないのです。あれはたぶん漢字で書くと「寄す」で、アクセントがLHです。

        自転車も自動車も「よす」対象です。家電製品も「よす」のです。衣類も「よす」し、家屋も「よす」のです。病気を「治す」ことは「よす」とは言いません。

        タイヤがパンクした自転車を押して自転車屋さんへたどり着いて

        例:「すんまへん、パンク(HLL)したよって、よしとくんなはるか?」
        (訳:すみません、パンクしたので修理していただけますか?)

        と言ったりしていたわけです。冷静に考えると、年寄りが言うタイヤの「パンク」は、パンクロックの「パンク」と同じアクセントになっている気がします。

        ばあちゃんなどは何かにつけて

        よしたら使える

        と言っていろんなものを修繕して使っていたのですが(その割りに機械ものや日曜大工方面は孫の私があれこれしてたような)、いまどきは「修理代のことを考えると直さずに新品に買い替え」なんて時代かもしれません。

        この言葉は、たぶん「理解できる人」はまだそれなりにいるんだけど、「日頃から使う人」があまりいない、というたぐいのものかもしれません。滅多に聞かなくなりました。大阪市内で聞ける頻度が極端に落ちているだけで、周縁部ではまだまだ多用されているのかな。

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          しょうみ

          2007.01.26 Friday
          そろそろ忘れそうな大阪弁 > サ行

          漢字で書くと「正味」。アクセントはLHL。「正味重量」「正味100g」というような用法では標準語として通用してるのかな。容器や包装などの余分を取り除いた部分が「しょうみ」で、その重量。

          で、建前や世間体や諸々の思惑等の余分を取り除いた部分、「本音」「本当」「実際」の物事もしょうみです。横山やすしさんの物まねで出てきがちな「しょうみのはなし」も、この正味の話です。

          例:「しょうみ言うたら、店、畳もか(たともか)思てん(おもてん)ねや」
          (訳:本音を言うと、店を畳もうかと思ってるんだ)

          そんな本音を急に聞かされても困ります。

          例:「で、しょうみ、どないだんねん」(話がはっきりしない人に向かって)
          (訳:で、実際、どうなんですか)

          詰め寄られてもやっぱり困ります。

          しょうみ」という語をつかう人自体が少しずつ減っていたのですが、さらに「ぶっちゃけ、―。」「正直、―。」という表現が急速に伸びてしまったので、いまどきは「正味」を聞く頻度も急速に減ったように感じます。「正味」の意味がわかりにくい人には、いまどきの「ぶっちゃけ」に相当と説明すればよいのかもしれません。

          「ぶっちゃけ」てないのに「ぶっちゃけ」とついつい言ってしまう人がいるのと同様、ウソで塗り固めた話を「正味な…」ともっともらしく語ってしまう人も世の中にはいるようです。

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